「兄ちゃま、遊ぼう。椿、つまらない。」
書き物をしている柘榴の横で椿が言った。精一杯の甘えた声だ。
「ネ、森に行こう。木いちごを摘みに。」
「今、勉強で忙しいーんだよ、オレは。またあとでな。」
脇目もふらず、彼はペンを走らせる。
椿は、そんな彼を見上げながら「まだあきらめないぞ。」という表情で、彼の服の裾を引っ張って言う。
「今じゃなきゃ、ヤ。」
「わがまま言うなよ。」
「わがままじゃないもン。姉ちゃまはまだ寝ているし、父ちゃまも母ちゃまもお出かけしちゃったし。椿、ずっと遊んでもらってなくて、可愛そうなの。」
だから、わがままで言ってるんじゃないの。
彼は、ようやくペンを机に置いた。そして、 椿の方に向きを変えると、きつい口調で言う。
「お前、『わがまま』の意味知ってるか?」
柘榴はその子の返事を待つ間に大きなため息一つつく。しかし返事は返らない。
「お前、やっぱり知らないんだな。『わがまま』っていうのはな、他人の迷惑をも考えずに、自分中心で人に頼み事をすること、を言うんだぞ。」
だから、今のお前はわがままを言っているの。オレは忙しいんだから。
何を言っても森に連れていってもらえないことを悟ると、椿は静かにその部屋を後にした。
寂しくなるから、居間に一人でいるのはやめよう、と椿は考え、蓮華の部屋までやってくる。
いても寂しくないところ。
小さくドアをノックすると、自分の目線と同じ高さにあるドアノブを回し、椿は静かに部屋に忍び込んだ。蓮華は、片手だけ布団から手を出して眠っている。
「最近、姉ちゃまったら寝てばっかり‥‥。」
幼いながらも気を遣い、布団の中に手をしまってやる。椿は、床に腰を下ろすとベッドの縁に頬杖をついた。真っ白な顔、呼吸とともに上下する胸、しばらくの間、その子はじっと見つめていた。
「一人で森に行ってしまおうかな‥‥。」
蓮華にこの言葉が聞こえて、目を覚ましてくれたらいいのに。
「一人で森に行っちゃいけないって言われているけれど、椿、もう子供じゃないし。すぐに帰ってくれば、大丈夫よね。そうよ。誰にも知られなきゃ問題ないのよ。」
ちょっと背伸びしたその子には、大人の力 にも知恵にも、何においても全く及ばないことがわからない。
木いちごの誘惑に勝てず、そんなことをつぶやき、自分を納得させた。
蓮華が目覚めたとき、すでにその場に椿はいなかった。
彼女は、随分と深く、そして長く眠ったなと思いつつ、普段と同じように着替え、部屋を出た。
家中静かで、人の気配がしない。
義父さまも、義母さまもでかけたのかな‥‥。‥‥椿も?
椿がいれば、少なくとも、足音か声がするはず。しない、ということは居ないということ。
柘榴は?
蓮華は柘榴の部屋をノックしてみる。
気配はする。そして、すぐに返事が返ってくる。
「やっと起きたのか。」
「うん。」
「随分と寝ぼすけになったな。丸二日は寝ていたぞ。」
「そんなに寝ていた?」
蓮華は柘榴のベッドに腰を下ろした。柘榴も彼女のとなりに座る。
「このまま目覚めないかと思ったぞ。」
もっとも、お前が眠るときにはいつも思うが‥‥。
柘榴は蓮華の頬をつまみ、茶目っ気たっぷりに引っ張ってやる。
「いふぁーいよぉ。ほンなコトより‥‥。」
手を離してもらわないとうまく話せないことに気づき、蓮華は柘榴の手を引き剥がす。
「義父さまと義母さまは?」
「会議に出かけたよ。明日遅くにならないと帰らないだろう。」
「そう。」
気配がないのはそのせい。
あ‥‥でも‥‥。何故か嫌な予感がする。
「椿は?ついていったの?」
「いや、居るよ。さっきまで、オレの横で何かゴチャゴチャ言ってたぞ。お前が寝てばっかりだから、よっぽど暇を持て余してるらしいな。」
それを聞くと蓮華は口に手をあてて「あれ?」という顔をする。
「何だ?何がそんなに心配なんだ?椿ならその辺をふらふらしているだろ。」
見なかったか?
「庭に出ているのかもしれない。ちょっと見てくる。」
「何か食ってからにしな。腹減ってるだろ。キッチンに色々あるってさ。」
「そうね。‥‥柘榴、椿何か言ってなかった?」
うつむき、何処か遠くを見つめながら考え事をしている様子。
「森にいつご摘みに行きたいって騒いでた。‥‥もしかして、椿が一人で森に行ったんじゃないかって考えてない?あそこには一人で行くなって言ってあるから心配いらない。」
「‥‥そうね。」
蓮華の顔から不安の色は消えない。
蓮華は少し心配症なところがある。
確かに、森に一人で行ってはいけないって言ってあるけれど、椿だからな‥‥。
森はゴーストの住処だなんて聞いたら絶対行かないだろうけど、椿はそれを知らないし。‥‥行ってないとは言い切れない。あの子にとっていちごの誘惑は大きいからなぁ。 蓮華は自分の部屋に戻り、ベランダへ出ると庭を見回した。椿の姿は見えないし、気配もしなかった。
彼女は顔を右へ向けた。うっそうとした森が目に入る。
手を組み、目を閉じた。こうすると周囲の気配がわかりやすくなるのだ。
森のある方角‥‥真黒。闇の黒ではなく、悪の黒。そして、その中にわずかに光る黄金色。‥‥椿だ。
柘榴に知らせようとか、防御力の高い服に着替えようとか、これから起こりうるゴーストとの戦いの対策は何も考えなかった。ただ、椿を助けに行く、この気持ちだけが彼女を無防備なまま闇の中へと飛び出させた。
椿の気配をたぐりながら、一直線に突き進む。
落ち葉を蹴り、枯れ木を踏み、とがった草たちをかきわけて行く。
彼女の白い素足から血が滲む。
足の裏から、ふくらはぎから、踝から‥‥。 飛んでいけば楽だろうけれど、これから起こりうる戦いのために魔力をとっておかなければならない。
いた!椿だ。
そこは、生えている木も少なく、川が流れていた。椿はその川沿いの低い木の下にうずくまっていた。
「椿!」
大声でその子の名を呼び、蓮華は走り寄る。
「何処か、怪我したの?大丈夫?」
うずくまって、じっとしているように見えたから、彼女はそう声をかける。
「姉ちゃまぁ!どうしたの?そんな大きな声出して。」
蓮華の心配なんてよそに、椿は無邪気な声で振り返った。
「ねぇ、怪我はない?大丈夫なの?」
椿の両頬に手をあて、いつもの蓮華からは考えれない強い口調で言った。
「怪我なんてないよ‥‥。姉ちゃま、怒ってるんだ。椿が約束破ったから。」
頭をうなだれて、消え入りそうな小さな声。
「でも、どうしてここがわかっちゃったの?椿、誰にも気づかれないようにお家を出てきたのに。‥‥悪いとは思ったのよ。でも、すぐ帰れば‥‥。」
しどろもどろ言い訳をする椿の言葉を蓮華が遮る。
「そんなことはいいから、帰るわよ。」
有無を言わせない命令口調。
いつもの蓮華と全く違う。
別人とも思わせるその様子に、椿は驚き、大人しく従った。この森を無事に出ることができるだろうか。
蓮華は不安を抱えながらも、小声で呪文を 唱え、椿を結界で包んでやった。魔力もあまりないし、修行もしていない。そのため、柘榴のものとは比べものにならないくらい弱いが、それでもないよりはましだ。
「姉ちゃま?」
これから何が起こると言うの?
説明のない蓮華の行動に椿は戸惑うばかり。
手をさしのべ、走りながら、いちごの入っ た籠を抱える椿を急がせる。
暗黒の気配が近づいてくる‥‥。
「姉ちゃま‥‥何をそんなに急いでいるの?ゆっくり帰ろうよ。息切らして苦しそう。」
体力の衰えている蓮華には、ほんの少し走ることさえ苦しいのに。
なのになんでそんなに急いで帰るの?
ただ、彼女の荒い呼吸だけが森中に響く。
喉が渇く‥‥。苦しい。唾がうまく飲み込めない。
「姉ちゃま!足から血が出てる。」
ちょっと止まって落ち着こうよ。
「椿のこと、怒ってるから答えてくれないの?」
答えないのではなく、答えられない状況だった。声が出ない、出す余裕がない。喉の奥で血の味がした。気持ち悪い。
椿はそれっきり黙ってしまった。きっと何も答えたくないくらいに怒っているんだ、と解釈していた。
蓮華は度々後ろを振り返る。
走ってきたところは闇に閉ざされていて、何も見えなかった。それなのに、迫り来る恐怖を感じる。
もうすぐ家に着くの‥‥。逃がしてよ!
すぐそこ。
すぐそこにゴーストが来てる!
「あ‥‥。」
強い風を感じた。
直後、背後から鷹の爪のような攻撃。
それを間一髪で交わし、彼女は振り返った。
暗闇のせいではっきりとした姿形が見えないけれど、ゴーストは確かにそこにいる。
「キャー!」
椿が叫んだ。
刹那、ゴーストの標的が椿へと変わる。
「椿!逃げなさいッ。」
ゴーストの行く手を阻むように蓮華が両手を広げた。
「あなたの敵はこの私よ。」
私の魔力では太刀打ちできないだろうけど、でも、椿は絶対守る!
「椿!逃げるの。」
椿の応答がない。
蓮華がその子の名を呼びながら振り返ると、恐怖で放心していた。
「椿!」
ゴーストの鋭い爪が蓮華を襲う。彼女は枯れ木の中に倒れ込んだ。
「‥‥ッ!」
「姉ちゃま!」
ゴーストは二人の恐怖をあおるように、じりじりと近づいてきた。もう自分のものになる、と確信したからこそ、ゆっくりと近づいてくる。
「逃げなさい。」
蓮華を抱き起こそうとする椿に言った。
「ここからなら、一人で家まで行けるわね。」
蓮華は椿の手を借りようとせず、自分で起き上がる。
「今なら、アイツ油断しているから逃げられる。」
「姉ちゃまは?一緒に逃げるんでしょう?」
「私は‥‥アイツをやっつける。行きなさい。早く。」
「でも‥‥。」
椿のせいだ!椿が約束を破って森になんか来たから‥‥!
椿は激しく後悔した。
涙がポタポタ落ちてくる。
その姿を見て蓮華はその子の気持ちを理解した。
だから優しく言う。
「ね、イイ子ね。お家へ戻って、柘榴を呼んできて。出来るわね。」
椿は涙を拭き拭きうなづいている。
椿が動き出したら、ゴーストは即それを追うだろう。だから、それを遮るための攻撃が一度だけ、一度だけ出せればいい。それで椿は守れる。一度だけ、柘榴みたいな大きな魔力が欲しい!
蓮華は木につかまり立ち上がった。
「椿、行きなさい!」
それが合図。
椿は一目散に駆け出す。
それと同時に蓮華は光の矢を放った。
私の中の柘榴の血‥‥力を貸して!
「蓮華?」
蓮華がオレを呼んだ?
振り返って意識を家の中に集中させる。
いない!?
蓮華の気配はおろか、椿の気配さえ感じられない。
柘榴は慌てて窓を開け、ベランダに身を乗り出す。
「‥‥!なんであいつっ。」
森の中でぶつかりあう金と暗黒。
金は蓮華‥‥。
何故あいつ森なんかにいるんだ?さっきまでオレとここで話していたじゃないか。
理由が解からない。
とにかく、こんなところで考えてる暇はない。早く蓮華を助けないと大変なことになる。風に乗って蓮華のもとへ。その時、結界に包まれて森から出てきた椿が目に入った。
「兄ちゃま!」
一声叫び、その子はその場に泣き崩れた。
「姉ちゃまが‥‥。」
途切れ途切れの声で、椿はそう言い続ける。だが、何があったのか。椿が森から出てきたことで、彼にはようやく事態が把握できた。
「椿!蓮華がどうした?」
椿の頬を引っぱたきたくなる衝動をこらえて、柘榴は言った。
畜生!もっと早くオレが椿がいなくなっていたことに気づいていれば。
あれだけ勉強に集中していた柘榴には、小さな椿の気配の移動に気づくのは難しかった。
椿はちゃんと家に着いたかしら‥‥。
蓮華の体はもう動かなかった。椿を守るための結界と、あの光の矢。彼女の魔力はそれだけで全て使い果たした。今やゴーストは怒り狂っている。傷つけられ、せっかくの獲物を逃がす結果となった事態に怒っている。そしてその怒りはすべて蓮華に向けられた。
ゴーストは必要以上に蓮華を痛ぶる。もはや抵抗する魔力など残っていないと言うのに。
蓮華の体は枯れ木の上に、仰向けに横たえられていた。枯れ木は彼女の体をつついたけれど、そんな痛みはもう感じない。それ以上に感じる体中の痛み。脇腹を蹴られ、背中をひっかかれ‥‥。
「あーあ‥‥椿の摘んだ木いちごがぐちゃぐちゃだ‥‥。」
顔を傾け、自分の横に倒れている籠を見つめる。
どうなるのかな‥‥私。このまま死ぬのか‥‥な。
みぞおちを強く蹴られ血を吐き出した。
でも‥‥それは私の望み。
もし私が死んだら‥‥。
椿は自分が約束を破ったせいだと一生後悔し続ける‥‥?
それは可愛そうだ、と蓮華は思う。自分の命なんかさほどの価値もないのに、そのために椿が一生後悔するのは割にあわない、とも思った。
悪いのは魔力のない私‥‥。血を飲まない私なんだから‥‥。
魔力があれば。椿を泣かせることも、恐がらせることもなかった。あの時、柘榴とともに戦い、手伝うこともできた。きっと今頃、木いちごのたくさん入った籠を持ち帰り、ジャムにしたり、ケーキにしたり。椿と楽しくそんなことが出来てただろう‥‥な。椿を泣かせるくらいなら、我慢して血を飲んでいれば良かった・・・?。
血を飲んでれば良かった。
‥‥バンパイアが血を吸って魔力を得、永遠に生きるのは何故だろう。
不意に今まで考えたことのない問題を考える。
痛みで余裕なんてないはずなのに‥‥。
ゴーストをやっつけるため?
答え知りたいな。柘榴だったら知ってるかな‥‥。
でも、わかるまでもたない‥‥。私の体。
バンパイアが死ぬ時はどうなるのかしら・・・体は残るの?砂のように跡形もなく散らばってしまうの?
「私」がここに存在していた証・・・何もかも全てきっとなくなってしまうんだわ。意味なく生きてきた私。誰も何も何処にも残らない。
それをずっと望んできた。
「柘榴‥‥。」
柘榴は何でも知ってる。だから、きっと魔力を得て永遠に生きる理由も知ってる。それぐらいは教えてもらってから死にたかったな。
もう会えない。だから知る術もない。
ああ、もう柘榴とも会えないのかぁ。
「会いたいのに‥‥。」
会いたい。この手で柘榴に触れたいのに。
愛しい‥‥。傍に居てほしいの。
柘榴!恐いよ。
このまま私死んじゃうの‥‥恐いよ。
傷は一向に治らない。
それは彼女に魔力がないため、そしてゴーストのもつ毒のため。
もう‥‥だめ‥‥なんだ。
涙が地面と同化する。
柘榴の笑顔がみたい。声が聞きたい!
最後の一撃。ゴーストが構えている。
蓮華は体をすくめ、目を固くつむり覚悟を決める。
ゴーストが動く‥‥。
!
温かい風が蓮華の上を通過する。
何?
私は何ともない‥‥。
そしてゴーストの断末魔の叫びが聞こえた。
何故?叫び声を上げて死ぬのは私のはずなのに、私生きてる‥‥。
恐る恐る目を開けてみるが、地面しか見えない。
起き上がって状況を確かめたくても、体が言うことを聞かない。
「蓮華、大丈夫か?」
枯れ木を踏み分ける音がし、影が出来た。
優しく、穏やかな柘榴の声‥‥。
蓮華は自分の耳を疑った。
でも、間違えるはずがない。愛しい人の声を‥‥。
「蓮華、意識はあるか?」
柘榴は大きな手を彼女の体に回すと、魔力を送り込みながらに抱き起こす。
彼女の顔は苦痛に歪み、血と泥にまみれていた。それでもちゃんと目は開き、彼の顔を見つめ、呼吸もしている。
「悪かったな‥‥遅くなって。話せるか?」
彼女は震える手を伸ばし、やっとのことで彼の胸に触れる。
「ずっと‥‥会いたかった‥‥。」
柘榴は蓮華の顔に自分のそれを近づけて、聞き取りにくいか細い声をなんとかして、聞こうとする。
「もう会えないって‥‥。死んじゃうって思った‥‥。」
「馬鹿。バンパイアが死ぬわけないだろ。」
「うん‥‥。」
彼女は彼の腕にその身を委ねる。
温かくて柔らかいところ‥‥。枯れ木の上とは大違いだな。
蓮華は目を閉じた。すると、たまっていた涙が押し流される。
「私の居るところ、よくわかったね。」
「お前の中のオレの血が呼んだ。」
柘榴はそう言うと口元に笑みを浮かべる。
「さぁ、帰るぞ。お前はこのままオレの腕の中で眠ってしまえ。」
彼女の顔を自分に寄りかからせ、抱きかかえて立ち上がる。
「ん‥‥でももっと話したいことがあるの。」
「ああ、家に帰ったらな。」
今はゆっくり休め。そして後でたくさん話そう。オレも話したいことがある。お前が森でゴーストと戦っている、と気づいたあの時思ったことがある。
柘榴はゴーストが居たところに一瞥をくれてやると、足早にその場を去った。
蓮華をぎゅっと抱きしめながら、柘榴は今までにない怒りを感じていた。
居なくなった二人に気づかなかった自分。約束を破った椿。蓮華をこんなにも傷つけたゴースト‥‥。
怒りが制御できない。
制御できない怒りはただ一人に対してぶつけられる。
家に戻ると、椿が蓮華の部屋の前でしゃがみこんで泣いていた。
柘榴が近づくと、その子は飛びついて蓮華の様子を見ようとする。
「椿!蓮華に感謝しろ。オレの両手がコイツでふさがっなければ、今頃殴っていただろうからな。」
ひどく冷たい声で言った。
「お湯とタオルと薬箱持ってこい。」
椿は文句を言わずに走っていく。
「よく頑張ったな。」
蓮華が目を覚ますと柘榴だけが傍に居た。
「椿は?あの子は怪我なかった?」
そう言った瞬間、柘榴の顔が険しくなる。椿に怒りを抱いてる。
「大丈夫だ。お前のおかげでピンピンしてる。」
「椿、呼んで。泣いてるでしょ、あの子。それから、記憶を消してあげて。」
「あんな奴、ほっとけよ。もとはと言えばアイツのせいだぜ。」
お前がこんなに傷だらけになったのも、何もかも。
「そりゃ、家を出たお前と椿に気づかなかったオレも悪いが、アイツが約束さえ破らなければ、こんなことにはならなかった。反省すりゃいいんだ。」
記憶なんて消す必要はない。
「柘榴、そんなこと言わないで。私がこんなに傷だらけになったのは、私に魔力がなかったせいだから。私に魔力があれば、椿をあんなに泣かせずに済んだから。約束を破った椿も良くないけれど、これ以上責任を感じる必要もないもの。椿はこんなことに耐えられるほど、まだ大人じゃないでしょう。」
これは前に柘榴が言ったことよ。
「何を偉そうに‥‥。」
柘榴は蓮華に背を向けた。
彼の声は心なしか涙声になっていたように思えた。
彼女は彼の肩に手を伸ばしたが、届かない。何とか届かせようと、体を動かそうとする。そして起こる激痛。
「痛いっ。」 それを聞くと柘榴は慌てて振り返る。
「何やってんだよ。大人しく寝てろ。」
「ごめんなさい‥‥。」
蓮華は少し目を伏せていった。
「お前の言いたいことは解かったけど、記憶は消さない。オレはアイツを許せない。」
お前は優しすぎる。
柘榴は鼻をグスグス言わせると、再び蓮華に背を向ける。
「でも!悪いのは私なの。血を飲まなくて、魔力のない私なの。」
「だから、何なんだ?それはどうしようもないことだろ。」
お前は血が飲めないんだから!
「だからね、決めたの。‥‥私、血‥‥飲むよ。」
それを聞いて柘榴は振り返る。
蓮華は真っ直ぐな視線で、決意を表わしていた。
「私ね、死にそうになったとき、どうしてバンパイアは血を吸って、魔力を得、永遠に生きるのか考えたの。」
少し、息苦しそうにしながらも、蓮華き頑張って話し続ける。
「ゴーストを退治するためなのかなって思ったの。」
柘榴はうんうん、とうなづいている。その目は赤い。
「人間は殺したくないし、血を飲むのも恐いけど、でも、もう椿をあんな目に会わせたくないし、ゴーストを退治するためなら‥‥。」
それに、今、柘榴と少しでも永く傍に居たいから、生きていたいと思う。
蓮華は体中に痛みを感じているはずなのに、何故かすっきりとした表情をしている。
「うん‥‥良かった。血を飲むって言ってくれて。オレうれしい。」
彼は彼女の頭を撫でている。何度もうなづきながら、撫でている。
「オレ、お前にはずっと元気で傍に居てほしいって、いつも思ってるんだぜ。お前が居なくなると、心配でさ。どっかで倒れてんじゃないか、とかすぐに思っちまう。今日もそうだ。間に合わなかったら‥‥なんて縁起の悪いことばかり頭をよぎってさ。」
これで、そんな心配もいらなくなるな。血を飲むようになれば元気になるもんな。‥‥そうしたら、お前は何処か遠くへ行ってしまうだろうか?
「柘榴、本当にいつも心配かけてごめんね。」
「いいよ‥‥。おしゃべりはこの位にして眠ったほうがいいな。」
柘榴は蓮華のまぶたに手を置き「閉じなさい。」という仕種をする。
「目を閉じたまま聞いて。オレは、お前の世話やくの、結構嫌いじゃないんだ。あのな‥‥。」
森の中にお前の気配を感じたとき、お前を失うことの恐怖を感じた。もう、迷わない。傍に居てほしいから。
「蓮華、好きだ。ずっとオレの傍に居てくれ。」
柘榴の手は蓮華の顔からはなれ、彼女の両手を握っていた。
蓮華は予期せぬ柘榴の言葉に、閉じた目を開けた。
大きく見開き、彼を見つめる。
「‥‥オレはずっとお前の傍に居たい。お前はオレが守るから、二度とこんな怪我はさせない。」
柘榴は蓮華の寝ているベッドに座り直す。
彼女の頭の脇に肘をつくと、彼女の頭を抱え込むようにした。
「じゃぁ、私が血を飲むときも傍に居てくれる?」
きっと一人じゃ恐くて飲めないから‥‥。
「勿論。」
「ずっと居てくれるの?絶対?」
「ああ。」
柘榴は短く答えた。
彼は額をくっつけた。蓮華は恥ずかしくなって思わず目を閉じる。「目を閉じたら駄目だよ。」
「?」
「いいから、開けたままで‥‥。」
唇が重なり合う寸前まで、視線をあわせ、彼らは長い間空気を共有した。
瞳を閉じない接吻。
それは彼女への愛が嘘ではないことを示すため。
何故?何故‥‥銀杏とはできなかったのに、柘榴とは接吻できるの?
彼女はその時、確かに彼の愛を感じ取り、彼が自分を幸せにしてくれることを実感した。何故受け入れられるの?
熱くて柔らかい唇同士は名残惜しそうに離れる。
だが、柘榴の顔は離れない。
「お前の答えは?」
お前もオレと居たいと思うか?お前もオレのこと好きか?
「私、この前海に行って銀杏につきあってって言われたの。」
「何!?」
柘榴は驚きが隠せない。銀杏が本気だとは、全く思っていなかったから。
「まだ、返事してないの。キスもできなかった。」
「ちょっと待て!銀杏の奴、キスまで迫ったのか?」
許さん!
皆まで聞かず飛び出しそうになる柘榴の手をつかまえ、留まらせ、蓮華は続けた。
「何故、キスできなかったのか‥‥。今何となくわかった気がするの。私が好きなのは柘榴だったの。」
愛とか恋とか、あまりよくわからないけれど、柘榴とずっと傍に居たいって気持ちは嘘じゃない。ずっと触れていたい気持ちだって嘘じゃない。
「元気になったら言ってくるわ。好きな人がいますって。」
見つめ会う二人。思わず笑みがこぼれる。
甘い時間が二人を包む。そして、再び唇を重ねる。
「柘榴‥‥ありがとう。とても安心した気になれる。」
「良かった。このままおやすみ。」
ああ、でもまだ椿と話してないわ‥‥。
それなのに眠気が襲ってくる‥‥。
「おやすみ、蓮華。目が覚めたら、オレの血をあげるから。」
お前の中にオレの血があれば安心だ。
この血がお前を守るから。
「椿の・・・記憶だけ・・・消してね・・・それから・・・それから・・・。」
柘榴‥‥目が覚めたときも傍に居てね・・・。
the end